5 10 2017
当時の人々にも影響を与え、時代を代表する思想家と呼ばれるに相応しい著作を書き上げたジョン・ロックは更に1693年頃に「教育論」と、そして1696年にはある委員会の委員となり、1704年にエセックス州のオーツで世を去りま […]
29 09 2017
一時は大学の研究員となり、講師まで務め、けれど意気投合したシャフツベリ伯爵アントニー・アシュリーの元へ行く為にロンドンに行き、彼の政治活動を後押しするも失敗。それが原因でオランダに亡命したジョン・ロックは伯爵が世を去っ […]
24 09 2017
本日から紹介するジョン・ロックはイギリス出身の哲学者で、「イギリス経験論の父」と呼ばれ、代表的な著書の一冊「人間悟性論」(「人間知性論」)で経験的認識論を体系化して、政治哲学者としての側面を持つ人物としても有名です。1 […]
14 09 2017
さて、今回が最後となる哲学者ルネ・デカルトですが、最後は前の記事で少し触れた「情念論」についてです。これはデカルトの代表的な著作「方法序説」の第5部に書かれた「日本の魂」に似ている事が書かれています、1649年頃に執筆 […]
6 09 2017
「方法序説」の第4部にて、ほぼ自分の哲学を確立したデカルトですが、この著書は第6部で構成されているので、残りの2つも紹介します。まず、第5部ではデカルトが探し求めた自然学の様々な問題の秩序、特に心臓の運動や医学に属する […]
31 08 2017
デカルトの名言「「我思うゆえに我あり」の元になった思想は、前回の記事で少し触れましたが、疑わしい考えや思想を観察、反省する事で生まれた彼の哲学の基礎です。著書「方法序説」の第4部では、唯一絶対の哲学を作るために、確実に […]
26 08 2017
前回の記事では「方法序説」の第2部でデカルトの論理の規則について紹介しました、彼は23歳という若さで、自身の哲学の「原理」を見出していないと気付き、そこから間違った見解などを自分の中から追い出す事に時間を費やしたそうで […]
15 08 2017
「我思う、ゆえに我あり」という近代哲学の新しい思想を築いたデカルト、彼の代表的な著作の一つ、前回の記事の最後に紹介した「方法序説」の冒頭も彼の哲学を表す有名な一文です。ここから、デカルトはあらゆる学問を考察して自身の学 […]
10 08 2017
さて、講義の為に早起きをして、それが要因で体調を崩し、世を去ると言う少し変わった最後を迎えたデカルト。今回から彼の思想に触れていきます、彼の残した名言「我思う、ゆえに我あり」は哲学史上の中でも有名な命題とも言えます、考 […]
3 08 2017
前回の記事から続き、今回も彼が哲学に至る前の遍歴を紹介します、20歳で法学士の学位を受けたデカルトは書斎の中で読む本ではなく、世間という大きな書物に身を投じる事を決意します。22歳の時にオランダで軍隊に加わりますが、そ […]