哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

5月, 2015

イマヌエル・カントについて その13

 前回は「純粋理性批判」を貫く哲学的精神が生まれる、と書きました。これにより伝統的な形而上学という檜舞台が解体し、同じく理性がそこに置かれたが役割を終えた今、理性に残された仕事とはなんなのか。重要な点、第三アンチノミーの […]

イマヌエル・カントについて その12

 さて、前回の記事で最後に「理性もトラブルを起こす」と書きましたが、ここでカントは思い悩む「理性」の主張を別々の主体ではなく同一の理性であり、それぞれがペアを組んでいるという考えです。これが理性の「二枚舌」であり、これを […]

イマヌエル・カントについて その11

 先週の最後に「知性が正常に動く法則」があると書きました、本日は、その「法則」について紹介していきます。考える為の根本枠「カテゴリー」を用いて、知性が実際に働く根本的な法則、つまり「原則」があるのです。それらも普遍的な要 […]

イマヌエル・カントについて その10

 カントが広義的な「理性」の中でも、色々な感覚的なデータと向き合い、それらを「因果関係」など始まりから終わりまで繋げる合理的な一つの認識にする能力が「知性」とされています。前回の記事で紹介したのは「直感」でした、そして今 […]

イマヌエル・カントについて その9

 前回から続きまして、カントが書いた「純粋性批判」についてですが、そこで彼は「素質としての形而上学」を混乱から脱する為に「学問としての形而上学」となる努力をしなければならない、と書きました。その為に、彼は人間の認識を作り […]