哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ジョージ・バークリーについて その4

 さて、本日で最後となるジョージ・バークリーですが、彼の思想で重要視されたのは「知覚」です。彼は著作の中で、机を例えに使っています、彼の哲学では、知覚するものは存在している。つまり、自分の心も体も、知覚しているなら存在する。ただし、バークリーの哲学では、世界は観念であり、目の前の机を叩いて硬さを認識しても、それは「机の固さ」ではなく、触れた者の「知覚として」認識していることになり、「机自体」を認識している事にはならない、という事になります。こうした考え方は、一部では批判も受けましたが、バークリーは視覚新論」を発表して人々に慣れてもらい、次に最も言いたかった「人知原理論」を発表することで、目の前の机も身体も世界も知覚する限りにおいて、「自分の心の中に存在する」のである、と説いて「物質」を否定して、知覚する精神と、その要因である「神」だけが実体だと説いたのです。
 この「神」を肯定する事が前提なのは、彼が聖職者であり、その存在を肯定する為に哲学を追求した事が理由として挙げられます。

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One thought on “ジョージ・バークリーについて その4

  • 前田静 より:

    ありがとうございます。本を読む前に、知っておきたいと思ったので、ネットで探しました。読もうと思いました。私はカトリックで、神の視点で哲学も考えようとしているので、バークレーに出会ったことはうれしかったです。ちょうど、私にとってとてもタイムリーだったのです。