哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

哲学

イマヌエル・カントについて その6

 前回の記事から、カントの哲学について触れていますが、その中で書いた「批判哲学」が印象的になったのは「純粋理性批判」によります。また、1768年頃から17890年に「純粋理性批判」以降の三批判書を含む書籍を出版した「批判 […]

イマヌエル・カントについて その5

 本日まで哲学者カントが職業哲学者になるまで、を紹介しました。そして、本日からカントの「思想」になります、彼は思想は三つの「批判」の時期に分けられており、この事から彼の哲学は「批判哲学」と呼ばれています。一度目は代表作「 […]

イマヌエル・カントについて その4

 前回の記事でカントが家庭教師から、ケーニヒスベルク大学で「私講師」として働く事になりました。この「私講師」は初めて聞く方も居るでしょうから、少し説明します。この肩書はドイツの高等教育機関で、教授職ではないですが教授資格 […]

イマヌエル・カントについて その3

 大学を出たカントですが、それから後は家庭教師として七年間を過ごします。元よりカントの家は裕福ではなく、母親は1737年頃に亡くなっており、その頃から既に生活は楽では無かったそうです。大学の頃から後輩の学生、主に法学生の […]

イマヌエル・カントについて その2

 三月も中旬になり、そろそろ本格的に暖かくなると思った矢先、気温の低下と雪がチラつき不安定な天気が続きました。それも落ち着いたと本日は前回の続き、「カント」の話です。八歳で入学したフリードリヒ学院で、ラテン語を中心に古典 […]

イマヌエル・カントについて その1

 本日から紹介する「カント」は1724年に東プロイセンの首都ケーニヒスベルク、現在のロシア領カリーニングラードに馬具、本にっては皮具とも言われていますが、その職人の四男として生まれました。哲学者としては「カント」が一般的 […]

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて その6

 先週はヘーゲルがナポレオンを「世界精神」だと言った話を書きましたが、この後に務めていた大学が閉鎖された彼は「バンベルク新聞」で編集者として数年に渡って働き、結婚します。そして1816年頃に「論理学」を出版して、ギムナジ […]

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて その5

 前回の記事でヘーゲルが夢中になった人物としてナポレオンの名前を出しましたが、二人が直に交流した事はありません。むしろ、彼が務めていたイェーナ大学は国がナポレオン率いるフランス軍との戦いに敗れて征服されて、閉鎖になります […]

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて その4

 今回の記事では前回の最後に紹介した「ヘーゼルの弁証法」における三つの要素、「命題」と「反対の命題」と「本質的に統合した命題」について説明します。まず、それぞれは違う呼び方があります。まず「命題」は「テーゼ」もしくは「正 […]

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて その3

  ヘーゲルはドイツを代表する哲学者であり、1807年頃に代表作となる「精神現象学」を出版しました。ここに書かれているのが「ヘーゲルの弁証法」です。「弁証法」は古代ギリシアの哲学から登場しており、元は「他人とする議論の技 […]

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