哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルについて その6

 先週はヘーゲルがナポレオンを「世界精神」だと言った話を書きましたが、この後に務めていた大学が閉鎖された彼は「バンベルク新聞」で編集者として数年に渡って働き、結婚します。そして1816年頃に「論理学」を出版して、ギムナジウム校長にハイデルベルク大学での正教授となり、そこで自分の講義に出席する生徒に自分の哲学を簡単にまとめた「エンチクロペディー」を出版します。タイトルはドイツ語で訳すと百科事典を意味して、内容は概念などを扱った「論理学」と自然についての「自然哲学」と世界史の流れを通じて自己展開していくと言った「精神哲学」の三部構成になっています。
 出版された後に本人に改訂されたり、亡くなった後も全集で弟子達が筆記した記録なども追加されています。そして、1818年頃にベルリン大学の正教授を務める。この頃にショーペンハウアーと生徒数で競い、圧勝したとされています。やがて、ヘーゲルは1831年頃に伝染病の「コレラ」を患い、亡くなります。彼の墓は生前の希望によって、ベルリンにある「ドイツ観念論」の哲学者であるフィヒテ夫婦の隣りに設置されています。そんな「ドイツ観念論哲学」の祖である「カント」を次回から紹介します。

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