哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

イマヌエル・カントについて その4

 前回の記事でカントが家庭教師から、ケーニヒスベルク大学で「私講師」として働く事になりました。この「私講師」は初めて聞く方も居るでしょうから、少し説明します。この肩書はドイツの高等教育機関で、教授職ではないですが教授資格を持ちながら教育活動を行う人です。こうした人達は無償ではなく、当時は受講する学生が講義を聞く「聴講料」を払う制度がありました、人気がある程に貰える金額が多かった訳です。こうして生計を立てていたカントは1756年頃に欠員が出た地位に就くため、二度の公開討議を行おうとします。
 しかし、第一回目が終わった後に政府がオーストリアとの七年戦争を直前に控えて、欠員を補充しない事にします。それから、カントは1764年に「美と崇高なるものの感情にかんする観察」と1766年に「視霊者の夢」と他にも幾つか出版して、1770年頃にケーニヒスベルク大学の招きに応じて「哲学教授」になります。大学教授になったカントは哲学に限らず、地理学、自然学、人間学など様々な講義を担当していました。そんなカントの学者としての日々が、「純粋理性批判」の出版で変化したのです。次回の記事からは、この「純粋理性批判」について紹介していきます。

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