哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

イマヌエル・カントについて その9

 前回から続きまして、カントが書いた「純粋性批判」についてですが、そこで彼は「素質としての形而上学」を混乱から脱する為に「学問としての形而上学」となる努力をしなければならない、と書きました。その為に、彼は人間の認識を作り上げる基礎と呼べる様な要素の分析を始めたのです。人間が物事を認識する際に使うのは「理性」だけではなく、その理性を広く意味する対になる概念を「感性」と言います。「感性」とは知っている方も多いでしょうが、聞いて、見て、触れて直に感覚データを受け取る能力の総称、これが働く仕方を「直感」と言います。この「感性」が働く基本的な要素をカントは「時間」と「空間」だと考えました、どんな感覚能力も「いつ(時間)」と「どこ(空間)」においてしか何かを得られないからです。そんな意味も込めて、時間と空間は私達の持つ「感性」の経験に先立つ形式でもあります。
 これの「時間」と「空間」が「感性」だという考えが、カントの「コペルニクス的回転」に繋がるのです。この次はカントが考える為の根本とした事を紹介します。

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