哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

イマヌエル・カントについて その13

 前回は「純粋理性批判」を貫く哲学的精神が生まれる、と書きました。これにより伝統的な形而上学という檜舞台が解体し、同じく理性がそこに置かれたが役割を終えた今、理性に残された仕事とはなんなのか。重要な点、第三アンチノミーの解決によって、理性の自由、すなわち第一原因の能力として、道徳の基礎をなすという事です。「自由」が第一原因であるという事は、日常感覚、また記事を読んでいる方には分からないでしょう。ですが、自由は「自らに由」という事であり、それは「他」に由らないという意味と表裏一体になっています。
 ここから、カントは人の「理性」の本来の姿は「ミズカラニヨル」能力として、世界に向けて物事を始める第一歩、第一原因を意味します。この様な第一原因から起こる自らの意志の決定による人間の行為、つまり道徳的行為が生まれるのです。これで第三アンチミノー、第一原因となる自由はあるか、は解決されて、自由の確保が出来るとしています。ここから、更に続きます。

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