哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 二

そして、ドゥルーズは、この『差異と反復』で語られる主題には四つあり、それを一つづつ上げています。

(1)ハイデガーが、存在論的《差異》の哲学をますます強く定位していること

(2)構造主義の活動が、或る共存の空間における差異的=微分的(ディフェランシェル){英訳ではDifference}――つまり、このディフェランシェルとは、日常用語で言えば、単なる違いとも捉える事が可能です――な諸特徴の配分に基づいていること

(3)現代小説という芸術が、抽象的な省察ばかりでなく、実際的な技法においても差異と反復を巡って動いていること

(4)無意識の、言語の、そして芸術の力でもあるような、反復の本来の力(ピュイサンス)が、あらゆる種類の分野において発見されること

そして、これら四つの事は、ドゥルーズは、しるし(シーニエ)と表現していますが、このしるしは、或る一般化した反ヘーゲル主義に数え入れる事が出来る、と言います。

つまり、ドルーズは、差異と反復が、同一的なものと否定的なものに、同一性と矛盾らに取って代わったと述べています。

確かに、映像一つとっても、何度も同じ映像を垂れ流すテレビと言うメディア一つとっても反復する事で、無理やりそこに差異を見出して視聴率争いをしているに過ぎないように思えます。

また、アンディ・ウォーホールではありませんが、芸術も、ポップカルチャーに変容すると、「広告」が反復を繰り返し、それが、芸術として成立すると言う何とも逆立ちしたような不文律が世の中に出来上がっているように思います。

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