27 08 2013
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 二十二
序論 反復と差異 五
反復と一般性――行動の視点からする第一区別 五
「……。なるほど、反復を、極限的な類似ないしは完全な等価として「表象=再現前化」することはできる。しかし、二つの事物のあいだの本性上の差異は、ひとが一方の事物から他方の事物へ徐々に[度を経て]移行する事があっても、なくなりはしないのである。」
ここでドゥルーズはひとが絶えず現在に抛りだされている故に「繰り返す事」に、つまり、反復することには、絶えず、「新たな」発見が潜んでいて、現在の上で、反復することは過去の再現は不可能であって、そみには必ず「差異」があると言っているのでしょうか。先を読んでみなければ何とも言えません。
一般性の二つのレヴェル――類似と等しさ 一
「他方、一般性は法則のレヴェルに属している。だが、法則は、その法則に従う諸基体と、その法則が指示している[数式の]諸項との類似と等価を規定しているだけである。法則は、反復を基礎づけるどころか、むしろ、法則のたんなる諸基体――個別的なもの――にとって反復が不可能なままであるのはどうしてなのか、ということを示している。法則によって、その諸基体は、余儀なく変化してしまう。差異の空虚な形式、変化の不変の形式である法則は、その諸基体に対して、それら自身の変化を代償にするときだけその法則の例証になるように強制するのである。」
これは何を言っているのでしょうか。一般性は、法則のレヴェルに属し、その法則は、諸基体を法則下で余儀なく法則に従わせていると言っているように読めますが、どうなのでしょうか。唯、ドゥルーズにとって《存在》は法則に強制されたものとして表象されているのかもしれません。
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