22 08 2013
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 二十
序論 反復と差異 三
反復と一般性――行動の視点からする第一区別 三
「反復すること、それは行動することである」とドゥルーズは宣言します。しかし、これだけでは、何の事はピンときません。先へ進みます。
「ただし、類似物も等価物もない何かユニークで特異なものに対してこうどうすることである。」
再び「特異」という言葉が登場します。ドゥルーズによれば、反復とは交換不可能な、若しくは置換不可能なものとして規定されました。さて、次に、「特異」な場合の例のようなものが挙げられます。
「……。祝祭というものには、『再開不可能』なものを反復するという明白なパラドックス以外のいかなるパラドックスもない。一回目に、二回目、三回目を加算するというのではなく、第一回目「n」乗するのだ。このような力=累乗(ピユイサンス)の関係=比(ラポール)のもとで、反復は内面化されることによって転倒させられるのである。」
祝祭が例として挙げられます。これは、日本で言えば、伊勢神宮が20年ごとにか屋根や社を新しく組み立てる事を何百年も続けていることに見立てることも可能かもしれません。ドゥルーズは、読む人を煙に巻くように祝祭は一回、二回と加算するのではなく、第一回で「n」乗すると何気なく述べていますが、さて、これは、極限のことなのでしょうか。つまり、一度祝祭が執り行われれば、それは、内面に沈殿して何度も反芻可能なものへと変化すると言っているのでしょうか。続きは次です。
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十九 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 二十一