9 08 2013
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十七
はじめに 十七
「哲学史の諸報告は、テクストに関する、一種のスローモーション、凝固あるいは静止を表象=再現前化していなければならず、しかも、その諸報告が関係しているテクストばかりでなく、その諸報告がその内部に潜んでいる当のテクストまでも扱わなければならない。」
これは何を言っているのかと考えますと、余りに私的な解釈を行えば、哲学史の書物とはその中で言及している「過去」の哲学書とともに、その書かれた哲学史の書本体もまた、テクストとして引いて眺める必要がある、ということのように読み取れます。つまり、哲学史の書がかかれれば、それは既に過去の哲か墨書と同列に扱われるものとして現前にあるということなのではないでしょうか。
「したがって、哲学史の諸報告は、或る分身的存在をもつものであり、そして、古いテクストとアクチュアルなテクストの相互間における純然たる反復を、理想的な分身として持つのである。だからこそわたしたちは、そうした分身的存在にアプローチするために、ときには歴史的な注解を、わたしたちのテクストそのものに統合しなければならなかったのである。」
以上で、漸く「はじめ」が終わりです。テクストの分身的存在とは、果たして何を言っているのか、疑問ですね。これも余りに個人的な解釈を試みると、書かれたテクストは既に書いた本人の手から離れ、書いた本人すら、その書かれたものを第三者的視点で見ることを分身的存在と言っているように読み取れます。
さて、哲学の素人が、このドゥルーズの『差異と反復』がどのように読めるのか楽しみです。次回からいよいよ本編に入ります。
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十六 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十八