6 08 2013
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十五
はじめに 十五
「無知を埋め合わせてしまえば、それは 書くこと(エクリチュール)を明日に伸ばすことになる。いやむしろ、それは書くことを不可能にすることだ。おそらく、書くことが死とのあいだに、沈黙とのあいだに維持していると言われている関係よりも、はるかに威嚇的な関係がある。だからわたしたちは、あいにく、このサイエンス[知]はサイエンス的[学問的、科学的]ではないということをしみじみ感じているがままに、サイエンスと言ったのである。」
これも何ら注釈は要らないと思います。エクリチュールという言葉を忘れないでください。
「ひとは哲学の書物をかくも長いあいだ書いてきたが、……ニーチェによって開始されたのだが、今日では、その追及を、たとえば演劇や映画のような、或るいくつかの芸術の刷新に見合ったかたちで遂行しなければならない。」
これもまた、特段に中は要らないと思います。現在、哲学を書き記すのに、どんな形式がいいのか、誰もが思い悩んでいると思います。しかし、こればかりは、自分で見つける外にありません。思索を入れる器を哲学者は探しているように思います。そして、まだ、決定的に思索を入れる器は見つかっていないようです。
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十四 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十六