2 08 2013
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十四
はじめに 十四
「《ひと》、それは何と素晴らしいものであろうか。そこにこそ、あのエレホンから必然的に派生するサイエンス・フィクションというアスペクトがある。この書物が現前させるべきはずであったこと、それは、以上からして、神のものあるいは世界のものでもなければ、わたしたちのもの、すなわち人間のものでもないような、或る一貫性へのアプローチである。その意味で、この書物は、一つの黙示録的な書物になるべきはずであった。(時間のセリーにおける第三の時代)」
さて、この本懐を語ったドゥルーズは、この本でどんな施策を巡らせているのか、とても興味がわきます。しかし、しばし、まだ「はじめに」にお付き合い願います。
「この書物は、……。ひとは、おのれの知の尖端でしか書かない、すなわち、わたしたちの知と私たちの無知とを分かちながら、しかもその知とその無知をたがいに交わらせるような極限的な尖端でしか書かないのだ。そのような仕方で初めて、ひとは決然として書こうとするまである。」
このドゥルーズの言葉は別段解釈する必要はありません。ドゥルーズが述べるとおりに、人が何かを書くときには、知と無知のとの極限の処で、言葉に出来ないものを言葉にして書くのです。
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十三 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十五