26 07 2013
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十一
はじめに 十一
「哲学の書物は、一方で。一種独特な推理小説でなければならず、他方では、サイエンス・フィクション[知の虚構]のたぐいでなければならない。推理小説ということでわたしたちが言わんとしているのは、どの概念も局所的なシチュエーションを解決するために、影響力を行使できる範囲で介入すべきだということである。諸概念は、諸問題とともにそれ自体変化するものなのだ。諸概念には、それなりの支配圏域があり、そこでは、やがてわたしたちが見るように、諸概念が「ドラマ」との関係において、かつ或る種の「残酷」の諸方途によって行使されるのである。それぞれの諸概念は、それらだけで一貫性を維持しなければならないのだが、しかしこの一貫性は、それらの概念に由来したものであってはならない。諸概念は、おのれの一貫性を、ほかから受け取らなければならないのだ。」
長い引用になりましたが、ここで、この『差異と反復』の秘密が隠されているように思うので長い引用ですが、書き出してみました。諸概念というものは、絶えず《他》からの干渉に晒されていて、絶えず変化して行くものだとドゥルーズは述べています。《他》からの諸概念への干渉は、「残酷」なものであり、しかし、そんな「残酷」な仕打ちを受けても尚、概念は、一貫性を保たなければならぬともドゥルーズは述べています。これは、矛盾しています。《他》からの干渉を受けて、概念は、全く一変する筈で、しかし、それでも尚、一貫性を保つなどというのは、神業でしかありえないと思うからです。しかし、その曲芸のようなことをしなければ、概念は、現代では生き残れないのだとドゥルーズは言いたいのかもしれません。しかし、これは、ここでは結論を保留しておきます。
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 十二