哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 九

はじめに 九

「けれども、わたしたちの信ずるところで、諸問題がおのれに固有な定立性の段階に達するとき、また、差異がその段階に対応した肯定の対象になるとき、その諸問題は、或る攻撃の力(ピユイサンス)を解き放つのであり、この力(ピユイサンス)が、美しき魂をまさにその同一性から罷免することによって、かつてその良き意志(やる気)を打ち砕くことによって、その美しき魂を破壊するのである。」

さて、これは何を言っているのでしょうか。「諸問題がおのれに固有な定立性の段階」とは、何なのでしょうか。これを独善的に言えば、「問題」が、自身ではっきりと把握可能となるという意味なのかもしれません。また、問題が、絶えず、「私」に対して解決を迫るものとして「私」に据えられた状態の事かもしれません。

そして、「差異」が肯定されると「或る攻撃の力」を解き放ち、美しき魂は、「私」との同一性から「罷免」、つまり、「私」は美しき魂を捨て去り、また、美しき魂が持っている「良き意志」を打ち砕く、とドゥルーズは語っています。

ここは、一寸意味を保留して次に読み進めた方がよいようです。唯、これが、ドゥルーズが述べたい事の本質をついている事だけは間違いなさそうです。唯、言えるのは、差異を肯定する時、美しき魂は「私」から捨て去られるという事は間違いなさそうです。

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