哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 八

はじめに 八

「同一なものから解放され、否定的なものから独立するようになった純粋な諸差異を援用するには、数々の危険がつきまとう。」

さて、純粋な諸差異にはどんな危険が付き纏うというのでしょうか。先に進みます。

「その中でも最大の危険は、美しき魂のもろもろの表象=再現前化に陥ること、たとえば、血腥い闘争からかけ離れた、和解可能で連携可能な差異でしかないといったものに陥ることである。」

つまり、ドゥルーズは、此の世には、美しき魂の存在は非常に困難で、「和解」も「連携」もその美しき魂のなせる業で、それは、途轍もなく「危険」なことだと言っているようです。つまり、美しき魂は、絶えず、此の世に巡らされている「罠」に陥る危険性に晒されていると言っているのかもしれません。ここで、美しき魂とドゥルーズが言っているのですが、何故か、ドストエフスキイの『白痴』のムイシュキン侯爵が思い浮かんでしまます。。先に進みます。

「美しき魂はこのように言う――わたしたちは、異なるものであるが、対立するものではない……。そこで問題という基礎概念だが、わたしたちはいずれも、これが差異という基礎概念に結びついているのを理解するだろうが、それはともかくこの概念がまた、美しき魂の諸状態に糧を与えているように見えるのである。」

ここでいう点のルビがふってある「問題の基礎概念」とはいったい何なのでしょうか。先を見ます。

「たとえば、重要なのはただ、問題と問いだけである……。」

「問題の基礎概念」とは、私たちが普段使っている問題という事を指示していることがこれではっきりとします。問題と問い。ドゥルーズは、それを問うているのです。

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