哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 七

はじめに 七

「――他方は、反復という概念に関わる方向である。たとえば、器械的あるいは裸の物理的な諸反復(《同じ》もの[あるいは、《自体》の反復])は、『差異的=微分的』なものを偽装し置き換えてゆく或る隠れた反復のいっそうの深い諸構造に、おのれの存在理由を見いだすだろうからである。そうした純粋な差異と複雑な反復という概念は、いかなる機会においても、ひとつにまとまって混じり合っているように思えたので、以上のような二つの探求はおのずから合流することになった。差異の永続的な発散と脱中心化には、反復における置き換えと偽装が、密接に対応しているのである。

これは、ドゥルーズが、差異を積極的に肯定すると言ったことに対して反復は、偽装して身を隠しているが、その本質を見れば、「同一」とひとくくりにしてしまっている中に、差異は、「純粋」な形で、そして反復は「複雑怪奇」な形で合流、つまり、一緒くたになって互いに切っても切れない関係にあると語っていると思われます。

つまり、差異は、「同一」の中から取り出せば、それは、「純粋」なままであり、反復を「同一」から取り出すには、それが「複雑」な構造の中に隠れているために、或る巧妙な手さばきが必要と語っているのかも知りません。これは、先を読んでみなければわかりませんが、いづれにせよ、「同一」には、差異と反復の二面がある、ということをここでは語っているように思います。

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