哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 四

「だが、現代思想は、表象=再現前化の破産から生まれもすれば、同一性から生まれもするのであり、要するに、同一的なものの表象=再現前化の下で作用しているすべての威力の発見から生まれるものだ。現代の世界は見せかけ(シミュラクル 英訳:simulacra)の世界である。」

さて、これはどうした事でしょう。シミュラクルとはプラトンの言葉です。次を読み進めましょう。

「そこでは、人間は、神と同様に永らえることなく、主観の同一性は、実体の同一性と同じく命脈を保つことがない。一切の同一性は差異と反復の遊びとしての或るいっそう深い遊びによって、見せかけられた(シミュレ)ものでしかなく、まるで、光学的な『効果』のように生産されたものでしかないのだ。」

ここで神は人間世界に引き摺り下ろされ、神すらも光学的な「効果」、つまり、映像でしかないと断じています。そして、差異と反復は、互いに踊るように戯れ弄ぶものだとドゥルーズは述べています。

「わたしたちは、……、その関係を、《同じ》ものに連れ戻し、それらをして否定的ものを経由させてしまうからである。」

ここで、ドゥルーズは、差異と反復を〈異なるもの〉と〈異なるもの〉の関係を独立に考えたいと宣言しています。さて、これは何を意味するのでしょう。差異と反復を《同一》に還元してしまうと、それは、既に否定的な意味を含意していて、簡単に言えば、差異と反復というものが《穢れ》てしまうと言っているのだと思われます。

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