3 10 2013
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 三十七
序論 反復と差異 二十
キルケゴール、ニーチェ、ペギーによる、反復の哲学のプログラム 三
承前
「……。そしてニーチェだが、彼はこう述べている。すなわち、意志を束縛しているすべてのものから、意志を解放するために、反復を、意欲の対象そのものにすること。なるほど反復は、それだけですでに、束縛するものである。しかし、ひとが反復で死ぬとすれば、ひとを救い、病を癒やし、そしてなによりもまず他の反復を癒してくれるのもまた、反復である。したがって、反復には、落命と救済の神秘的な戯れ(ジユ)のすべてと、死と生の演劇的な戯れ(ジユ)のすべてと、病と健康の定位的な戯れ(ジユ)のすべてが、同時に存在するのだ(永劫回帰における反復の力(ピユイサンス)たるただひとつの同じ力(ピユイサンス)による、ツァラトゥストラと快癒しつつあるツァラトゥストラを参照せよ)。」
ドゥルーズは、反復に快癒する力を見たようです。日常生活において、反復して行うことを反復して行っていれば、ある程度の心労には堪え得ると思います。つまり、規則正しい生活の繰り返しで、人は快癒するものなのです。これは、ドゥルーズが言うとおり、とても神秘的ですが、実際において、誰もが経験している筈です。
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 三十六 ソクラテスについて その1