26 09 2013
ジル・ドゥルーズ『差異と反復』の読解 三十四
序論 反復と差異 十七
反復、自然の法則と道徳法則 六
「道徳法則を転倒させる最初のやり方は、イロニー〔皮肉〕的であり、イロニーはそのとき、諸原理の技術、諸原理への遡行の技術、そして諸原理の転倒の技術であることが明らかになる。その第二のやり方は、フモール〔ユーモア〕であり、それは、諸帰結ともろもろの下降との技術、もろもろの中断といくつもの転落との技術である。反復がそうした中断のなかにもそうした遡行のなかにも出現するという事態は、ちょうど実存(エグジスタンス)〔生活〕が、もはや諸法則によって束縛されなくなるとそれ自体において再開され、「繰り返される」といった事態であるかのように理解しなければならないであろうか。反復はフモールとイロニーに属する。ただし反復は、その本性からして、侵犯であって、法則に従うすべての個別的なものに反する特異性と、法則をつくるすべての一般性に反する普遍性とを、つねに顕示しているのである。」
長い引用になりました。反復は、自然法則ばかりでなく道徳法則にも反するとするドゥルーズは、ここで、その反復がどのように道徳法則を転倒させるのかを語っていますが、ここは、難しい書き方をしています。
まず、第一に、道徳法則の転倒はイロニーがあると言います。そして、第二にフモール〔ユーモア〕があると言います。特にフモールにおいては、反復は中断の中にも遡行のなかにも出現すると、一読しただけでは何の事かさっぱりと解からない書き方をしています。
ただ、ユーモアは例えば、会話のなかでのユーモアを考えますと、ダジャレを言った場合、そこで、会話は切断します。そして、皆は笑い転げる場合があります。そして、嗤いが已むと、また、続きの話に遡行します。と、このように読み取ったのですが、ドゥルーズの意図していることはここでは、はっきりと掴めません。このまま、次を読みます。
そして、ドゥルーズは、反復は、侵犯であると言います。法則にしたがう個別なものに反する特異性、また、一般性に反する普遍性が反復と言いますが、これも何の事良く解りません。唯、反復がただの「繰り返し」ではないということだけは、解りました。
そして、反復とは、特異なもので普遍性があるものという定義にあるとドゥルーズは述べています。これは、例えば、食事を例に挙げれば、毎日の食事は、献立は毎日違うけれども、食事は毎日反復してとるということを言っているのかもしれません。
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