哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ジャン=ジャック・ルソーについて その7

 パリでの立身出世を願い、けれど思った様な評価は得られず、その頃にホテルで働いていたテレーズと恋仲になります。ただ、2人は決して互いを捨てない、けれど結婚もしない、という条件で添い遂げる事になり、本当に晩年まで結婚しませんでした。またテレーズは読み書きも出来ない環境にあり、彼女の親族や縁者はこぞってルソーを頼ってきたので、彼が稼ぐ事になったのです。彼女との間に子供もできたのですが、そんな状況下と当時の低評価もあり、経済的に苦しかったルソーは自分の子供を孤児院に預ける事にもなったのです。当時のパリでは、珍しいことではなく、年間3千人ほどの子供が孤児院に預けられる事もあり、社会問題になっていました
 ルソーは仕方なかったとはいえ、この出来事を深く反省し、強い後悔の念を持ったそうです。また、1749年頃に友人が匿名で出した冊子が無神論的な内容がある、との事で監獄収容される事もありました。そんな状況下にあったルソーは、ある雑誌でディジョン化学アカデミーが懸賞付きの論文を募集している広告を目にします、その課題内容が突然の閃きを与えたそうです。

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