哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ジャン=ジャック・ルソーについて その6

 色々ありましたが、結果として何かと世話になった夫人が経済的に苦しい状況にあると知ったルソーは、パリで成功して、夫人に恩返しする事を目指します。そこで、1742年に数字によって音階を表す音楽の新しい記譜法を考案して、それで一儲けしようと考えました。早速、パリ、ソルボンヌに近いコルティエ街のサン=カンタンのホテルに居を構えて執筆を行い、パリの化学アカデミーに「新しい音符の表記に関する試案」を提出しました。これ自体の評価は悪くなかったのですが、ルソーが望んだような結果は得られず、音楽の個人教師をしながら生活をしました。特に外出することなく、孤独に引きこもる日々でしたが、ドゥニ・ディドロという人物と親しくなり、ある神父の紹介で社交界の女性たちと交友する機会を得ました。
 そして、1743年頃にフランスの大使の秘書になりますが、大使の態度が受け入れられず、1年で辞めてしまいます。それから別の事もしますが、それも上手くいかず、更にホテルで恋に落ちた女中テレーズとの関係は周囲の状況が順調にいかせてくれませんでした。

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