哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

デイヴィッド・ヒュームについて その2

彼も主な著書である「人間本性論」を出版したものの、注目されなかったヒュームは次に「道徳政治論集」を出版したり、侯爵の家庭教師、セント=クレア中将という人物の法務官としてフランスへ遠征、次に副官として軍事使節団に弁護士協会の図書館長、その合間に出版した著作が評価され始め、彼の名声が確立されていきます。さらに、彼の書いた全6巻からなる「イングランド史」は反響があり、これにより、経済的にも恵まれる様になります。その後もパリで秘書官になり、この頃に同じ哲学者として名を残すジャック・ルソーと出会いますが、ルソーは彼の思想に共感できずに交流は途絶えてしまいます。
 そして、最後は国務大臣の次官になりますが翌年の1768年頃に辞任しています、そして1776年に「私の生涯」を書き、同年8月に世を去りました。この様に、ヒュームは「哲学者」として著作を残していますが、生涯を通しての活動は多岐に渡っていたそうです。また、最後まで独身だったので、子供はいなかったそうです。

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