哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

マルシリオ・フィチーノについて その4

 フィチーノは自身で著作を翻訳する事でプラトン哲学に触れました、そこに、今までのキリスト教の考え方も加えて独自の哲学を生み出したのです。それが「人間の定義」です、前回の記事ではフィチーノが考えた「人間」と「動物」は「理性と知性」を持つ点が異なる唱えました。この「理性」とは五感から受け取った物事を分析して、判断を下し、また足りたい部分は想像力を働かせる能力であり、次に「知性」とは直接の真理、このブログで何度か登場した「イデア」に到達して「神の領域」に近付く能力だと主張しました。そして、この二つを持つ人間は動物と神の「中間」にあり、色々な物事に葛藤して、時に苛まれる不安定な存在ですが、「理性」によって地上で正しい行い、善行を行うと共に「知性」で追い求める真理と一体になる事が可能だとフィチーノは考えました。
 そんなフィチーノが手掛けた翻訳により生まれた言葉があると言われています、それが精神的な愛を意味する「プラトニック・ラブ」です。これは彼が手掛けたプラトンの著書「饗宴」の注釈書である「愛について」、邦題「恋の形而上学」の中で使われたアモル・プラトニクスという言葉が語源になったそうです。

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