哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

オッカムのウィリアムについて その5

 今回で最後となるオッカムですが、彼の代名詞と言える「オッカムの剃刀」は単純に他の可能性を剃り落とせばいいという内容ではないのです。この思考を成立させるには、今から書く3つの注意が必要になります。1つ目は「説明に不必要であることは、存在の否定ではない」、オッカムの剃刀は思考をシンプルにする手段に過ぎないので、説明する必要ない存在を否定するものではないのです。2つ目は「真偽の判定則となるか」で、オッカムの剃刀は既にある理論や仮設等に対して、新しい仮設等を加えるか選ぶひとつの立場に過ぎないのであり、オッカムの剃刀を加えて選んでも「その仮説が絶対に正しい」とはならず、また切り捨てられた仮設も完全に間違っている事にはならないのです。
 3つ目は「何が説明に必要であるかは自明ではない」です、これはオッカムの剃刀という考え方を使うにあたり、慎重な検討が必要な事を意味します。一見すると不必要な仮説でも、実は見逃した内容によっては必要な場合もあるのです、オッカムの剃刀を使うべきではない所まで使ってしまう危険性もあるのです。故に必要性は慎重に判断すべきなのです。

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