哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

トマス・アクィナスについて その6

 神学の教授として、哲学者として私達には馴染みが薄いアヴィケンナやヴェロエス、アビケブロン、マイモニデス等の多くのアラブやユダヤの哲学者達の著作を読んで、研究をして、そこからアクィナスはアリストテレスの存在論を受け継ぎつつ、その上でキリスト教の神学と調和し難い部分については新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとしたのです。一方、当時のヨーロッパ圏では肉体的なものよりも、精神的なものを重視していたため、アリストテレスの哲学を受け入れるべきではない、という意見もあったのです。そんな中で、アクィナスは理性の及ぶ範囲における指針として、アリストテレスの唱えた「形相-質科」と「現実態-可能態」の区別を「理性の心理」として受け容れたのです。
 少し難しくなってしまいますが、アリストテレスによれば、存在する者、存在者には「質科因」と「形相因」がありますが、それらが何で出来ているかが「質科因」、その実態と本質が「形相因」なのです。存在者が動いている、動態的に見た時、潜在的には可能であるのが「可能態」で、それが生成したものが「現実態」なのです。

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