哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ゴルギアスについて その3

 さて、本日で最後となる哲学者ゴルギアスですが、彼の哲学なゼノンの理論を駆使して「何ものも存在しないということ」また「存在したとしても我々はそれを知る術がないこと」そして「仮に知ることが出来ても、我々の知識を人に伝えることはできない」という三つの理論を今は失われた主著「自然について、あるいは存在しないものについて」の中で主張しました。このゴルギアスの論理に対する議論は、広くパルメニデスの主張する存在に対する皮肉な反論として理解されました。
 彼は主著の中で「存在は一つである」という事は証明するのは容易いように、「何も存在しない」も証明するのは同じ様に容易いと主張する為に、これを書いたと言われています。しかし、ゴルギアスは弁術論や修辞学に長けており、故にこれは能弁術の力を示したに過ぎないものとされており、その真意は弁術的な戯れであったと言われてしまう事もあり、彼自身の真意は定かではないそうです。派手な逸話がある反面、曖昧な主張とも言えます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください