哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

アルケシラオスについて その4

 今回で最後となるアルケシラオスはピュロンの説を採用しながら違う考えた方をしたのです。ですが、ストア派が唱えたエポケーの認識論について反論したという話があるそうです、ストア派は「判断停止のすべての行動を不可能にしてしまう」と唱え、それに異論を唱えたそうです。これは「エポケー」の「選択の放棄」という矛盾とも言える欠点を克服する事と同時に、エポケーの必要性を説くことを目的にしていたそうです。その上で、「理にかなったことを規準にして行動するなら適した正しい行為ができる」とも論じたそうです。
 これは比較対象の有る無しにこだわらず、判断の際に理にかなっているか、そうでないかを判断できれば行動の指針、つまり行動を進める方針が得られると考えたのです。そして「知者として生きられる、すなわち、それだけで生活上の成功は十分に保証される」と説いたそうです。またキケロの著作によると彼の教えは「彼は何も知らない、彼自身の無知さえも」という言葉の中に要約されているそうです。

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