哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ルクレティウスについて その4

 さて、本日で最後となるルクレティウスですが、彼はエピクロスの唱える「快楽の本質」を誰よりも先に指摘したのです。また、ルクレティウスに見る目があった証拠ですが、これを踏まえた上で、彼は体の健康と心の平穏というエピクロスの快楽説とは違う、人間の心理と生きる理に根ざした快楽があるとものの在り方を提示しています。更に、彼の著書では「認識」における「感覚」の役割を説いていることです。「認識」と「感覚」についてはカントなど後の哲学者も扱っていますが、この様な指摘はギリシアの哲学者には見られず、ギリシア哲学では「感覚」は「理性」の下におかれ、理性が「担い手」と考えられ、それを逆転させたのはルクレティウスが最初と言われています。
 「事物の本性について」の中で、感覚以上に大いなる信頼性をもつものは、他に何もなく、あるいはまた「理性」が感覚より生まれたものである以上は、「理性」は感覚にうち勝つ可能性があると唱えたそうです。この考えは後世の哲学に影響を与えたのです。

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