哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

ルクレティウスについて その3

 今回で三度目となる哲学者「ルクレティウス」についてですが、エピクロスの哲学を「叙事詩」という形で表現したことは前にも書きました。その他に、ルクレティウスはエピクロスの模倣をしていたそうです。その原点は、宇宙の全ては「原子」によって構成されているという「原子論」にあります。彼の残した著書「事物の本性について」では、この「原子論」に関する記述に大半を費やし、この「原子論」によって曖昧で説明の付かない現象を、更に分かりにくくする「神秘主義」は払拭されたのです。例えば、ルクレティウスは神話に登場する上半身が人間、下半身が馬の「ケンタウロス」に関して、昔も今もいなかったとし、どんな時でも存在しないという内容をわざわざ残しています。
 幻想的な生き物が居るかいないかはともかく、ルクレティウスが生きていたのは紀元前だったので、実在すると何の根拠もなしに信じた人もいたのです。そんな時代だからこそ、それを否定する「合理主義」が必要だったのでしょう。

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