哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

エピクロスについて その11

 さて、前回の記事で「人間は生まれながら快楽を持っており、それを第一の善と認めている」というエピクロスの主張を書きました。これは彼の数少ない資料の一つにハッキリ書かれているそうです、その資料がブログで何度も登場している「メノイケウス宛の手紙」です。岩波書店から出版された「エピクロス 教説と手紙」でまとめられた「メノイケウス宛の手紙」では「選び抜かれた快楽がない苦しい時こそ、人間には快楽が必要で、そうでない時は必要ない」という内容を残しています。
 故に、エピクロスは快楽を幸せな人生の動機であり、また目的だとしています。なぜなら、人は快楽を出発点として、全ての選択と忌々しく避けるべき事を始めに、この感情を基準に全ての善を判断して、快楽へと戻ると主張しています。善を判断する際は、かまわずに選ぶのではなく、快楽と一緒に苦しみも考慮する必要があるのです。その理由は長い苦しみの後に多く快楽を得られる事もあり、表裏一体である善と悪を場合によっては善を悪と捉え、悪を善と捉える事も有るのです。

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