哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

イマヌエル・カントについて その16

 前回の記事でカントの「純粋理性批判」について、また「理性」に関する事も紹介しましたが、これには続きがあります。カントは更に別の機会に、三つの問いは一つの問いに還元されるとしています。それが「人間とは何であるか」です。これを踏まえた上で、「純粋理性批判」は人間存在の全体を視野に収め、人間存在が人間存在である為の最も基本的で普遍的な基盤と、その設計図を描いた哲学の古典と言えるでしょう。
 これがカントの掲げた「哲学」です、それまで当たり前とされていた「理性の肯定」を疑って、そこから自らの思想を掲げたのです。理性を改めて考える法廷を築き、また三つのアンチノミーを解決する事で生じる「理性」の営み、また「空間」と「時間」に対する認識も考察しています。こうしたカントの哲学は「批判哲学」と呼ばれますが、カント自身は、その呼び名を気に入っていなかったそうです。次回は、そんなカントに関する私生活も含めた幾つかのエピソードを紹介します。

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