哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

イマヌエル・カントについて その7

 前回の記事で大まかな内容を説明した「純粋理性批判」ですが、あれだけでは大まかすぎるので、更に細かく紹介していきます。まず、この「純粋理性批判」は今まで人が持つ認識能力で最上級とされ、無条件に前提となって「真理」や「善」の拠り所とされてきた「理性」を吟味に掛けてた事です。この様に「理性」を徹底的に体系的に吟味したのは、カントが初めてだろうとされています。そんなカントが扱っている「理性」ですが、英語で「reason」と書きます、これは「理性」と同時に「理由」とも訳します。
 つまり「理性」とは、「なぜ」や「なぜならば」と物事を考える能力であり、それを追求する能力でもあります。それ故に「理性」は自身が生み出した二つの意見に分かれる事があります、例えば「世界は無限なのか、それとも有限なのか」と言う様に対立した意見が出て、トラブルが起こるのです。これがカントの提言した理性の「運命」です、こうしたトラブルをカントは「アンチミノー」という「二律背反」と呼び、これが「純粋理性批判」を書く動機でもあったのです。

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