哲学カフェ

哲学書を一つづつ取り上げて、それを時に独善的とも思われる解釈を試みながら、一見難しいものと思われる哲学書の解読を行うものです。

アリストテレスについて その2

 前回の記事でプラントンの弟子だったアリストテレスの簡単な経歴と最も親しかったアレクサンドロス大王の話を紹介しました。そんなアリストテレスですが、実は師匠であるプラトンの死後に「リュケイオン」という学校を設立します。そして、創設者のアリストテレスは校内の散歩道を歩きながら生徒である弟子達と議論を交わしたとされています。この様な姿が頻繁に見られたのは、ここで学んだ人達はペリパトス学派、訳すと「散歩をする人々」と呼ばれるようになったそうです。この学校に通う人は多かったそうですが、アリストテレスが親しかったアレクサンドロス大王が亡くなると、彼が納めていたマケドニアでは反対運動が起こり、アリストテレスも大王の家庭教師だった事やアテナイの出身でないという理由から追われる身になったそうです。
 しかし、彼の思想は途絶えず、現在まで受け継がれています。リュケイオンも建物こそ残っていませんが、今もフランスの国立高等学校の名称として「リセ(Lycee)」という言葉があります。

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