心を豊かにする方法 > 「私」と「ワタシ」

「私」と「ワタシ」(1)

「私」と「ワタシ」どこに違いがあるのでしょうか?

どちらも「私」に変わりはありません。

これは、心理学上で言う「認知」と「評価」に当てはまります。

簡単に言えば、思考パターンや行動など、自分自身で分かっている、「認知している私」と、他人目線で見た時に、おそらくそうするだろうとイメージされている、「評価されるワタシ」です。

人は多かれ少なかれ、本当の自分を偽りながら生きています。

そして、他人からこう見られたい、あの人より上に行きたいと、憧れや見栄、欲にも似た感情を抱えながら生活しています。

その中で、何となく他の人と足並みを揃え、世間からはみださないようにバランスを取り、自分の気持ちに折り合いを付けながら生きているのです。

人の性格は、身近な大人の影響を受けて変化し、8歳までに確立されると言われます。

一番身近な大人の存在、つまり親によって褒められたり、制御されたりしながら、心は育まれていきます。

その中で自分の行動や考え方を計り、「自分という存在を認知」し、物事の良し悪しを判断します。

それが後に、個々の性格を決定付ける「基盤」となるのです。

「私」と「ワタシ」(2)

子供の頃、褒められることが多かった人は、自分の行動や考え方に自信を持ち、何事も自信を持って取り組む人になるでしょう。

反対に、何をやるにも注視され、抑えられることが多かった人は、内気でおとなしく、慎重な性格になりやすいです。

その成長の過程の中で、本来の自分の心に「自我」が芽生え始めます。

「本当はこうしたい」
「本当は、こんな風に思っている」

それを一度でも誰かに制御されると、人の感情に敏感な人は、自分の本音を表に出すこと自体、やめてしまいます。

自分が感情を表さない方が、その場の空気がスムーズだと思いこむからです。

そして、そのギャップを埋められずに成長した人は、自分の心と身体の違和感を解消できないまま大人になり、いつのまにか本音を飲み込むことが習慣化します。

ここで本来「なりたい自分」からどんどん遠ざかり、薄れていくと、その開いた距離に焦り、心が暴走するのです。

それならば、いっそ「理想の自分」に近づく努力をしてみてはどうでしょうか?
性格は変えられない、と言われますが、本当にそうでしょうか?

他人の目や、生まれ持った本質は変えられなくても、ある程度までは自分の努力次第で変われると、私は信じています。

今まで生きてきた過去を否定するのではなく、少しづつでも「なりたい自分」に近づく努力、決して無駄にはならないはずです。

人生は自分のもの、ならば誰にも遠慮は要りません!!

まずは自分がどうなりたいか、「明確化」するところから始めてみましょう。
欲のない人は、何も変えようがありません。

本当に変わりたいと「欲」を持つことで、運命は回り始めます。

止まってしまった時計を再び動かすのは、他ならぬ、自分自身なのです。