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13.心の「現在」

そのキムの疑問は、例え物理的なものの上に乗る形で心的因果が実現したところで、実際の因果的役割を担っているのが物理的な要素なのだとしたならば、心的なものはそもそも何の役割も果たしていない、ということにならないのだろうかということです。

先述した学校に行きたくない気持ちと同様にその心的なものは、それが引き起こすとみられていた結果が、その本当の(物理的な)原因によって引き起こされていたとき、たまたま同時に発生しいただけなのかもしれないのです。

キムによると、物理主義を認めながら、その一方で物質的でない心の因果性を認めるなどという都合の良い立場などあり得ないということなのです。
物理主義の立場に立ち続けるならば、心の働きが本当はモノの働きである事を認めるか(還元主義)、でなければ、心自体は世界に対して何の働きかけもせず、何らかの物理的過程が生じるときにたまたま発生するだけであると見なすか(エピフェノメナリズム)の選択を迫られるのだとキムは述べています。

どちらの選択を取るにせよ、私たちの日常的な心の見方からはかなりかけ離れている印象は否めません。
どちらの選択肢をも取らないで済むような心的因果が可能か、可能とすればどのような立場になるのかを探る事がこの太田雅子著『心のありか』のテーマになります。

この太田雅子氏の著述に付いて行って心というものが現在、哲学的にはどのように扱われ、そしてどんな問題をはらんでいるのかを見て行きましょう。