心の行方~哲学的、心理学的、科学的に心とは何か~ TOP > このサイトについて

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最近、うつ病など「心」の病にかかる人が増えていますが、それでは、その「心」とは、いったい何のでしょうか。

「心」が現在置かれている厳しい状況、例えば、全てを物理的な現象に「心」の出来事を期してしまう物理主義的な考えが支配的、つまり、「心」の出来事もすべて脳細胞の物理的な現象の表れに過ぎないと看做す物理主義がまことしやかに大手を振って歩いている状態です。

そこでこのレポートでは、「心」というものを日常的な感覚に引き戻して、それを哲学的に論じた著書『心のありか』を読みながら、「心」を物理主義から救い出そうとする試みを紹介するものです。

心理学的なものとも一線を画し、論理によって「心」を捉え直すその試みは、きっと物理主義的な「心」の見方を修正するものに思います。

私自身、「心」を病んでしまった経験があり、とはいえ、どうも精神科なるものに全的に信用がおけない状況に直面したことがあります。
そんなときに、「心」が脳の出来事に帰すことなく――それをこの『心のありか』では物理主義としています――、論理的に「心」を語る事で、日常で「心」が使用されるその使用の仕方から、「心」が決して物理主義に還元できない「モノ」という試みがこの『心のありか』では行っています。

「心」に関して、物理現象ともオカルトとも違う方法で、つまり、哲学の論理に耐え得る方法で救い出すこの試みがこの『心のありか』です。
それを逐一読み進むことで、これからの「心のありか」の哲学的な指針のヒントになればとの思いでこのレポートを書きました。

私は、著書に『夢幻空花(むげんくうげ)なる思索の螺旋階段』『審問官 第一章「喫茶店まで」』『審問官 第二章「杳体」』「幽閉、若しくは彷徨〈第一部〉》などがある物書きです。
それらはいづれも哲学的な問題、つまり、《私》は《私》であるということに疑問を持ってしまった「現存在」の有様を書き記したものです。

このサイトを読んで太田雅子著『心のありか』を手に取って読んでもらえると幸いです。

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