心の行方~哲学的、心理学的、科学的に心とは何か~ TOP > 3.個別的なものとしての「性質」―トロープによる心の因果性

個別的なものとしての「性質」 一

デイヴッド・ロブという哲学者は、心的因果の議論に「トロープ」という新たな存在を導入する事で、デイヴィドソンを始めとする非還元的物理主義者が抱える困難を避ける事ができると主唱しました。
以降は、その困難がどのように解消されるのかという視点からロブの考察の流れを追って行きながら、トロープが果たす役割を明らかにしてみます。

ロブは心的因果の問題の根源を次の三つのテーゼが互いに矛盾なく成立している事にあると言います。

(1)心的性質は物理的性質とは異なる[異質性]

(2)あらゆる物理的出来事は、それが生じる因果的プロセスにおいて、物理的出来事および物理的性質のみを持つ[閉包性]

(3)心的性質は物理的出来事に因果的に関連する事ができる[関連性]

(2)はなじみの〈閉包性〉の(因果的プロセスの構成者を物理的なものだけに限定している点で)やや強いバージョンです。
もし(1)および(2)が謂えるならば、心的性質はある物理的出来事が生じるまでの因果的プロセスに入って来られない事になっているから、(3)のようなことは不可能です。

また、(1)と(3)を認めますと、非物理的なものへの因果的歴史の介入を否定する(2)は成り立ちません。
今度は(2)と(3)を認めようとすれば、心的性質は物理的性質でイコールであると考えざるを得なくなるので、(1)と矛盾します。
これらの三つの原則は、どれも正しいのに、どれか二つを認めれば、残りの一つが成り立たなくなるという特徴を持っています。

個別的なものとしての「性質」 二

では、先の(1)~(3)を全て成立させる為に、1それぞれ出てくる「性質」に二種類の解釈を与える事によって矛盾を解消しようとします。
(1)での「性質」のタイプの事を指すのに対し、(2)と(3)ではトロープを意味するというように解釈するのです。
そうすると先の(1)~(3)は次のような形になります。

(1)心的タイプは物理的タイプとは異なる[異質性]

(2)全ての物理的出来事は、それが生じる因果的プロセスにおいて、物理的出来事および物理的トロープのみもつ[閉包性]

(3)心的トロープは物理的出来事に因果に関連することができる[関連性]

ある物理的出来事に因果的に関する心的性質のトロープと、特定の物理的トロープとが同一であるとするならば、その心的性質のトロープの存在は、(2)に抵触するものではなくなります。
心的タイプの出来事が因果的な力を持つようになるのは、この同一性の為です。
しかし、心的トロープと物理的トロープが同一であってもトロープの心的タイプと物理的タイプは依然として別の物だから、(1)はそのまま保持されます。

トロープ説では、出来事の「ココロ性」を特徴づける役割はタイプが担い、因果的働きはトロープが受け持ちます。
さらに、心的トロープが物理的トロープと同じであるとする事で、(2´)で示されているような強い形の〈閉包性〉を破る事なく、心的なものに因果的な力を持たせる事ができるようになります。
これは一つの利点となります。

個別的なものとしての「性質」 三

トロープ説は、第一章でキムの論証を扱った時に登場した「因果的排除問題」にも効果的です。
同じ結果に対する原因が心的性質と物理的性質の両方を持つ時、後者のみで結果が起こるのに十分ならば、前者は不必要な原因として排除されるのではないかというのが、因果的排除問題であった筈です。

しかし、心的トロープと物理的トロープが同じならば、それらは初めから原因としてどちらが優先されるかを争う事はありません。
もちろん、心的トロープと物理的トロープが同じだからと言ってそれらの性質が同じであるわけではありません。
属するタイプが異なれば、性質としては違うものとして認識されます。
という事は、わざわざ還元主義を選ばなくても心的なものの何らかの因果的な役割を保証でき、心的な性質をエピフェノメナとして因果関係プロセスから切り離さなくても、因果的側面での心の独自性をも守る事ができます。

以上がトロープというものを導入して個別的なものの性質を矛盾なく因果的な出来事を説明したものです。
少し思弁的な感じがしますが、心を断つ学的に扱うには、細心のと注意が要されますので、何か狐につままれたような論証に戸惑うかもしれませんが、哲学とは概してこのようなものです。