心の行方~哲学的、心理学的、科学的に心とは何か~ TOP > 1.性質の因果性

性質の因果性 一

因果関係とは原因と結果がどのように記述されようが変わらないような関係であるとされています。
これを哲学用語で言うと「外延的(extensional)」といいます。
例えば、地震が大災害を「引き起こす」というとき、その地震が「某月某日の朝日新聞の一面に掲載された」出来事として記述されてもその大地震が大災害の原因でなくなる事はありません。

一方、地震が持つ「某月某日の朝日新聞の一面に掲載された」という記述によって取り出された性質は、大地震が何故、どのようにして生じたかとは関係ありません。
どの新聞の何面に掲載されようがその地震は大災害を引き起こしました。
それ故に、朝日新聞に掲載されたことは地震の因果的に関係があるとは言えません。

これとよく似た事例として知られているのは、フレッド・ドレツキが考案した「ソプラノ問題」です。
ソプラノ歌手が高音を発して窓ガラスが割れたとき、ガラスが割れた事に関わるのは、ソプラノ歌手の声の高さであって、歌の内容は関係ありません。
例えその歌手が「窓ガラス割れよ」とうたったとしても、その歌の内容はガラスが割れた事とは何の関係もありません。
窓ガラスの破損に関係するのはソプラノ歌手の声の音響的性質であって、歌の内容が持つ性質ではありません。

性質の因果性 二

ドレツキは先のソプラノ歌手の話の中で、心的性質をソプラノ歌手の歌の意味内容になぞらえて、心的なものに関する物理主義者の態度を描写しています。

ソプラノ歌手の歌った詞の内容が窓ガラスを壊すわけではないというのと同じように、心的内容もまた私達の身の回りに何の影響も及ばさないというのです。

以上の例から解かる事は、例え因果関係が外延的であると認めたとしても、原因の持つある特定の性質が何故結果の発生に因果的に関与したのか、また、そのような事がどうして可能なのかという問題が依然として残ります。

因果関係が外延的関係であるならば、心的出来事は物理的に記述されても原因としての力を失う事はない筈です。
それならばいっそのこと心的出来事と物理的出来事を同じものと看做してしまえばいいのではないか、と思うかもしれません。

心的出来事を物理的に記述された出来事と同じものと看做せば、「心が因果的な力を持つのか?」という問いに答えるのは簡単になります。
心の働きを実際に担っている物理的出来事が結果の発生に関与するとすれば十分なのです。

しかし、心的出来事を物理的出来事と同一視することによって抜け落ちてしまう事があります。
それは、出来事が持つ特定の性質が結果の発生に関与するのかどうか、という視点です。

性質の因果性 三

或る性質が他のものに対して「因果的に関連する」のはその性質が、何故/どのようにして結果を引き起こすという観点から見て、結果にとって適切であるときです。
日常的に行われている行動の説明を含めたあらゆる事例において、出来事の或る性質を取り出した記述の方が結果の説明として適切であり、同じ出来事の別の性質を取り出した記述は不適切であるという事があり得ます。
行動を説明する場合、その原因であると看做される心的出来事を物理的に記述してもそれは因果的に見て結果と関連性があるとはいえないかもしれません。

例えば道端で蛇を見かけたとき逃げ出したのは、蛇が怖かったからであり、そのままじっとしていたならば、もしかすると蛇に噛まれるかもしれないと思ったからです。
勿論、そう思ったときの心の状態は、脳や神経の働きによって記述でき、それは行動と法則的な結びつきを持つ事を私たちは大体わかっています。
それでもなお、蛇を見て逃げたのは脳や神経の性質によるものではなく、「蛇が怖い」「じっとしていたなら噛まれる」「蛇が毒を持っていたならば命が危ない」といった諸々の信念や感情故にの事であって、しかも行動を合理化する「理由」とは別の意味で、それらが蛇から逃げる事を引き起こしたのだと言いたくなります。

性質の因果性 四

少し込み入った言い方になりますが、特に、信念や欲求など、その内容を文章の形で明確に書き表せる事ができるような「命題的態度」が絡む場合は、更にこの傾向は強くなる事になります。
物理的性質が持ちえないような因果的関連性を、心的性質が実際には持っているのだという事が、心の見方に関する私たちの単なる性癖などから来るものではないという事が立証できれば、それは心的因果の擁護に大きく近付くことになる筈です。

そして、近年になって、この「因果的関連性」を手掛かりに心的因果を立証しようとする立場が登場してきました。
ここでカギとなるのは「性質」です。
原因が持つどの様な側面が行動に影響するのかに応じて行動の表われ方が違ってくるのであれば、また、原因のある側面が結果の発生に関与するが同じものの別の側面はそうでないという事に目を向けるのであれば、ものの側面、すなわち性質はれっきとした因果的働きを持つと考える事ができます。

そして、この事が、心的因果にも当て嵌められるならば、心は決して因果的に無力なわけではない事が立証できるように思えます。
性質としての心が行動に何らかの違いを生じさせるというのは、心的因果の問題を考える際に決して見過ごしてはならない点なのです。

心が性質として因果的な働きをすると言えるかどうかを見極めるために、「性質」というものについてもっと詳しく理解する必要があります。
ここからは性質が哲学においてどの様に扱われてきたのかを振り返り、心的因果の話へと進みたいと思います。