心の行方~哲学的、心理学的、科学的に心とは何か~ TOP > 1.心の働きを物質化する

1.心の働きを物質化する 一

スーパーヴィーニエンスを以てしても心独自の因果性が主張できないならば、残された道は心をモノに還元するか、還元しない代わりに何の働きもしないものとして扱うかのどちらかです。

キムが選択したのは、還元する方でした。
だからといって、嘗て盛んに行われていた心の状態を脳状態に単純に置き換えるという事ではなく、心の機能が果たすその「機能」が、実は心の状態のもととなる物理的なものによって果たされているという立場です。

これをキムは「機能的還元」と呼んでいます。

心の働きが物理的なものの働きでもあると述べる事で、キムは「心は、何故何かを引き起こす事ができるのか?」という問いに答えたのでした。

ここで、「そういう立場はモノによって心の働きを説明しただけの事で、『心が心として何らかの因果的役割を果たすのか?』という問いに答えた事にならないのではないか?」という疑問は最もなことです。

しかし、ここでは、心の因果性をめぐる問いの答えが何故「心の働きは本当は物理的だ」という事にならなければならないのか、疑問が湧くのが至極当然ですが、この疑問はしばらく脇に置いておいて、その前に、キムの言う機能的還元というものがどんなものかを見てみようと思います。

2.心の働きを物質化する 二

機能的還元を説明するにはその前に「機能主義」を説明しなければ、機能的還元が何なのかが見えてきません。

機能主義は、心の働きを、それが外の世界のモノに対して持ち得る因果関係によって捉えようと試みたものです。

例えば、「痛み」とは何かを機能主義的に定義するとしたならば、「それを感じた時に呻き声を上げさせたり、それが発生したところを手で押さえる事を引き起こすもの」となります。
この味気なさが機能主義です。
これ以上に機能主義によって「痛みとは何か?」を定義づける事はできません。

また、「水を飲もう」という意図は、それを持つ人をキッチンへと向かわせてコップに水を入れて口に運ばせるような働きの事であり、機能主義は心の中の何かで定義づけられないのです。

ところで、私達が心の働きによると思っている様々な機能は、何も心によって「実現」される必要は全くありません。
脳や神経は勿論の事、コンピュータやマイクロチップなどでも構わないのです。
心とはあらゆる行動を生じさせる機能の集まりに過ぎないのです。

機能主義を説明する中で「実現」という言葉を使っていますが、この「実現」が機能的還元および機能主義を理解するにあたり、キーワードとなります。

3.心の働きを物質化する 三

機能主義を構成しているのは、「機能」と、それに続く「実現」するものとです。
「実現」というのは「いつか夢を実現させたい」という場合によくつかわれるような、日常的な意味とはそれほどかけ離れたものでは決してなく、「ある状態を現実のものにする」、あるいは「ある状態を可能なものにする」という意味で使われています。

機能があれば、一方にそれを実現するものが存在します。

例えば、キッチンへ行ってコップに水を入れて、それを口に運ぶという「機能」は、人体においては、一定の脳や神経の働きによって「実現」されるという事を意味します。
つまり、それは、脳や神経が一定の仕方で働く事で、喉が渇いたときにキッチンへ行ってコップに水を注ぎ、そして、口に水を含む事が出来るようになる、という事を意味しているのです。

また、実現する側の性質は「一階の性質」、実現される方は「二階の性質」と呼ばれています。
ここでいう一階、二階というもの関係は相対的なものに過ぎません。
例えば、「2009年8月16日時点で、世界最速のランナーである」というウサイン・ボルト選手の性質は、「100メートルを9秒58で走る」という性質によって実現されたものであります。

5.心の働きを物質化する 四

つまり、「2009年8月16日時点で、世界最速のランナーである」という性質は、この日付の時点において世界記録として公認されていたタイムより速く走る事によって現われたものです。
この意味において「100メートルを9秒58で走る」という性質は、ボルト選手の筋肉の動きや身体能力、そして脳の働きによって実現されていて、「2009年8月16日時点で、世界最速のランナーである」に対しては一階の性質であっても、ボルト選手の脳の働きや筋肉の動きや身体能力を持つ性質に対しては、二階の性質になるのです。

なんか一見複雑に見えますが、一階の性質はボルト選手自身の事、そして、二階の性質はボルト選手の能力を持つ存在が仮にいればの話に過ぎないのです。

心的性質もまた、このような階層構造の中にあると言えます。
例えば「痛み」というのはそれを感じた時に、人に呻き声を上げさせたり、身体の特定の部分を手で押さえさせたりする機能であると先述しましたが、これらの機能は、特定の脳や神経の性質によって実現されているのです。
ボルト選手のパターンを当てはめると、人に呻き声を上げさせたり、身体の特定の部分を手で押さえたりする機能は、二階の性質で、それを可能にする脳や神経の特定の性質は一階の性質になります。

5.心の働きを物質化する 五

「痛み」に関して肝要な事は、「人に呻き声を上げさせたり、身体の特定の部分を手で押さえたりする」のような二階の性質が、身体において物理的に発生する過程にあるという事です。

人が呻き声を上げるのは、痛みによる神経の損傷の情報が脳に送られて、そこから声帯に信号が送られ、それにより、呻き声を上げる事により声が生じるという現象です。

身体の特定の部分を手で押さえさせることも、信号の形や経路は違っていても、やはり身体において発生する過程です。

機能を実現する過程は、それ自体が物理的性質なのです。
心的性質は、何らかの他の心的性質や物理的性質を生じさせる機能を持ちますが、心的性質の「機能」の担い手になるのは、それを実現させている物理的性質なのです。

以上のような性質の位置関係からキムは、心的性質の「機能還元」を行ったのです。

【心的性質の機能的還元】
ある心的性質Мがある行動の物理的性質Pに対して因果的に作用するのは、М自体が「Pを引き起こす機能を果たすP(´)という性質を持つ」という性質である事にする。

Мは「『P(´)という性質を持つ』という性質」である。
これは即ち、P(´)そのものを指しています。
この一文が述べている事は、二階の性質はそれを実現する一階の性質とまさしく同じものであり、それ故に、二階の性質である心的性質は、その機能を実際果たしている一階の物理的性質に他ならないということです。

6.心の働きを物質化する 六

以上、縷々と述べてきた事から導き出される結論は、心的性質が持つとされてきた機能が、それを実現する物理的性質の働きへと還元される事なのです。

また、スーパーヴィーニエンスを用いた心的因果の説明をディレンマに陥らせるのは、〈閉包性〉および過剰決定の禁止から来る因果的排除問題だった事によるからです。
心的状態を機能化する事で物理的に還元する事で最も大きな利点は、スーパーヴィーニエンスのジレンマを遁れられるところにあると、キムは述べています。

二階の性質としての心的性質に関しては、心的性質を実現する一階の物理的性質を超える因果的な力を持つことがなく、例えば、心的性質の持つ力と物理的性質の持つ力が同じならば、心的性質と物理的性質のどちらかが原因として優位化を競う事は全く馬鹿馬鹿しい事でしかありません。

以上の事から、一階の実現者と同一視された二階の機能的性質としての心的性質は、因果的排除の対象にはなる筈はありません。
また、実際に何を生じさせるか因果的な力は一階の実現者の方に宿るのだから〈閉包性〉の原則をも守られる事になります。
こうして、機能的還元は心的因果をスーパーヴィーニエンスのジレンマから救うからです。