心の行方
太田雅子著『心のありか』をもとにして心というものに一度は疑問を持った人に対して心の「現在」をお伝えします。
心の行方~哲学的、心理学的、科学的に心とは何か~ TOP > 1.ディヴィドソンの心の三原則
心に因果的なるものを認める場合、心の因果性が他の原則との間に矛盾や不整合を齎すということが哲学的な心という事では問題になります。
ここに挙げる心の哲学者と言われる、ドナルド・ディヴィッドソンによって示された三つの原則も成立が困難だと言われています。
これを具体的な例で言うと、例えば、スーパーにある品物が欲しいがお金がなく、それが原因で万引きをし、然しながら、その万引きという行為に後悔を感じる。
以上の事は心的状態(品物が欲しいがお金が足りない)と行動(万引きをする)は、それぞれ原因にも結果にもなり、相互に影響を及ぼし合う。
つまり、心的出来事はスーパーの品物が欲しいという事であり、物理的な出来事は万引きをするという事で、それには当然相互関係があるのは当然です。
例えばそれは、椅子を手で押したことが原因で椅子が動くとき、重力や引力に関する物理学の法則が成り立っています。
そして、その物理学の法則には例外がなく、「Aが起これば大抵の場合Bが起こる」と言った大まかな事は許されない点で厳格である。
つまり、因果関係は手で椅子を押す事で、そこには厳格な物理法則に則るという事です。
例えば、ラーメンを食べたいと思ってある食堂に入ったとしても、実際にはチャーハンを注文してしまう事もあり、また、男女関係で、それまで愛していた相手が急に嫌いになってしまうという事などがあります。
以上の事から心の動きには決まった法則がないように見えます。
つまり、心的出来事とはラーメンが食べたかったのにチャーハンを注文するとか、愛していた人が急に嫌いになってしまうなど心的出来事には厳格な法則がない(非法則性の原則)。
以上の三つの事はどれも同時に成り立たないように見えます。
例えば、①のような心の状況がある場合は、心的出来事と物理的出来事に因果的な作用があるとすれば、②によって、心的出来事と物理的出来事とを厳格に結びつける法則が存在し、そして、③から心的出来事に適応する厳格な法則はないという事になります。
また、③より、心的出来事は物理的出来事と何の因果的関係もあり得ないように見えますが、そのことは、心の因果的相互作用を言っている①に反します。
以上のように上記に上げた①②③の三つの原則は、どれも正しいにも拘らず、同時には成り立たないような関係になっています。
これがディヴィドソンの考え方で、後にその問題点を取り開けますが、ディヴィドソンの考え方はいろいろな人の批判にさらされています。
そして、ディヴィドソンもそれは百も承知で自分の考察を深めて行くのです。