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5.非法則一元論

先述したように①~③の全て成り立つようにさせる立場を「非法則的一元論」と言います。
それというのも、心的出来事に法則が当て嵌まらない事を認めるうえで、非法則という事になるのでありますが、また、心的出来事が実は物理的なものであると述べているので「一元論」なのです。

非法則的一元論は、心的な事が物理的な事に他ならないという主張と、心的なものの概念が物理的な概念に還元されるものではないという、本来ならば並列しないものを並び立たせて両立させているともいえます。

また、非法則的一元論の他にも、物理主義の立場でありながら、心をモノに還元しないで済むような立場が数多く考え出されましたが、それらは、まとめて「非還元的物理主義」と呼ばれます。

しかし、このようなディヴィドソンの立場は、行為の原因となる(心的な)出来事が、彼が述べるとおりに物理的に記述されたものとして法則に従うのであれば、その出来事が、心的なものとしては行動と法則関係を持たず、それ故に、心的出来事は、心的側面からすれば因果的に何の力も持たないという事になりはしないだろうかという批判にさらされてきました。

その中で代表的なものがブライアン・マクローリンの批判です。