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3.心的出来事とは

ディヴィドソンの心の哲学および行為論における中心的な役割を果たしているものがこの「出来事」で、ディヴィドソンの「出来事」は、性質の担い手としての「個別者」であり、これは日本語では「~であること」という名詞句や漢字の熟語で表わされます。

例えば、「椅子」は出来事ではありませんが、「椅子を動かすこと」は出来事になります。
「バスが遅れている」は出来事ではなく、「バスの遅延」は出来事になります。

以上の例から出来事は椅子やバスに似ていますが、出来事はモノに対する何らかの動きを示しているという点で、出来事はここで言う椅子やバスとは異なります。

出来事はその性質によって様様なタイプに分類されます。
また、一つの出来事は異なるタイプの性質を持つ事が出来ます。

心的出来事というと、何だか心のものという先入観がありますが、実際には、出来事は「心的」な出来事と共に物理的な性質も持ちます。

感覚や信念などの心的出来事はそれが脳や神経の働きによって生じることから物理的な性質を併せ持つものと理解されます。

例えば、「痛み」という心的出来事には、その痛み特有の感覚的性質と痛みを齎す物理的な性質(C線維の興奮)が生じます。
この痛みという心的出来事が行動と法則的関係を持ち得るのは、感覚的性質を持つ心的出来事としてC線維の興奮のような神経生理学的(=物理学的)性質を持つ心的出来事としての事なのです。